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a box of chocolates

You never know what you're gonna get.

JAZZ MANの挟持、LA LA LANDとBlue Giant

先日、日本の公開日から少し遅れてですが、「ラ・ラ・ランド」を観てきました。

(以下、「ラ・ラ・ランド」と漫画「Blue Giant」のネタバレがあります)


いやー、良かった。泣きました。主演のライアン・ゴズリング、かっこいいですね。ファンになりましたよ。あまりに良すぎて、家に帰ってAmazon Primeビデオでエマ・ストーンライアン・ゴズリングの初共演作「ラブ・アゲイン (字幕版)」まで観ちゃいました。

ラ・ラ・ランド」は映像も曲も素晴らしかった。ただ、万人受けするかというと、ちょっと難しそう。冒頭のハイウェイでのミュージカルシーンがひとつの試金石となりそうですね。妻の知人が劇場で見たときは、目の前に座ったおばちゃんが冒頭のシーンでいきなり眠りだして、最後まで熟睡されていたそうです。

全体として良い話だったんですが、観終わった直後に腹落ちしないところがありました。主人公のミアが女優としてのチャンスを掴み、さあふたりの未来はこれからという展開のあと、5年後を描くエピローグのシークエンスではミアが別の男性と結婚し子どもをもうけていたというくだりですね。「えー、なんで?」と思わず声を出しそうになりましたよ。「あなた、芸事に没頭するためにセブと離れたんじゃないの?」と。

一方のセブは、自分のお店を持つことに成功し、あんなにこだわっていた店の名前をミア発案の「セブス」にしている始末。夫ともにふいに訪れたミアに向けて、出会ったときの曲を演奏し、選択しなかった過去の思い出が走馬灯のように流れるわけです。

夢をかなえるために頑張った話なら、ふたりの関係も家族という形で終わらせても良かったんじゃいの? なんでこんな形で物語を終わらせちゃうんだ。

毎日のようにLA LA LANDのサントラを聴き、物語を思い出しながらもんもんとしていました。


で、ふと思い出したのが、JAZZをテーマにした漫画「ブルー・ジャイアント」です。「ラ・ラ・ランド」もJAZZミュージシャンの話ですし、何かしらもやもやを解消するヒントがあるんじゃないかと思いました。

で、1巻から10巻まで読み返したんですが、才気あふれるピアニスト沢辺雪祈(ゆきのり)の

才能ある者同士が互いを踏み台にして、さらに才能を伸ばして名を上げていくのが、それだけがジャズなんじゃねえの? それが「組む」ってことなんじゃねぇの?
(34話 / 単行本5巻)

という言葉や、主人公であるサックスプレイヤー宮本大(だい)の

それにジャズは一生同じメンバーで演(や)るものじゃない。組む人間はどんどん変わっていくものです。
(59話 / 単行本8巻)

という言葉で、ようやく腹落ちしました。

互いに刺激を与え合い、セブはJAZZ MANとして、ミアは女優としてのステップを少しずつ上がっていったわけです。雪祈の「踏み台」という言葉ほど乱暴ではありませんが、互いに才能を伸ばしていった結果、セブはミュージシャンとして成功し、ミアは女優としてのチャンスを掴みました。さあここから次のステップというとき、ミアが必要としてたのはセブではなくもっと別の誰かであることに、セブは気がついていたのかなと思います。
互いに別れ、それぞれの道で没頭したからこそ、セブは自分の店を持つことができ、ミアは女優として大成功した。ふたりがカップルとして成就していたら、これほどの成功には繋がらなかったのでしょう。

どちらを選択するのか、それは個人の自由ですが、L.A.という夢追い人が集う街で出会ったふたりの選択肢はひとつしかなかったんでしょうね。

Blue Giant」も出会いと成長と別れを描く物語です。JAZZ MANとして大成していく過程で、築き上げていく関係性や立場に固執すること無く、常に上を見て行動していく。自分が実践するには難しい姿だからこそ、物語として胸に響きます。