a box of chocolates

You never know what you're gonna get.

餃子の稲盛くん

この記事は餃子 Advent Calendar 2017の15日目の記事です。

私が鹿児島県に住んでいて、幼稚園に通っていたときの話です。

当時共働きだった両親は、日中、祖父の家に私を預けていました。通っていた幼稚園も、祖父の家の近くにありました。そこで同じクラスだったのが稲盛くんという男の子でして、その子の家は祖父の家から徒歩数分(子どもの足だともっとあったように記憶してますが)のところでした。

その子のお家では餃子を作っていて、「餃子の王将」の餃子を作っているとのこと。たしかに、家に遊びに行ったときに横に大きな調理場があった気がします。

大人になって、餃子の王将のファンになっている今では「おー、すごい」という気持ちになりますが、幼稚園児の頃は「ふーん、そうなのか」というくらいの気持ちでした。

その後、小学校は祖父の家を離れ、実家近くの小学校に通い始めたので、稲盛くんとは疎遠になってしまいました。

さて、ここまで書いた段階で、鹿児島の方や餃子好きな方はピンときてると思いますが、同級生だった稲盛くんは京セラの創業者稲盛和夫さんのご親族だったんですね。

鹿児島の餃子の王将チェーンは、鹿児島王将とも呼ばれ、普通の王将チェーンとは別系列になっています。そのあたりの経緯はWikipediaに下記のように書かれています。

1978年(昭和53年)7月に、当時餃子の王将に勤務していた稲盛実の義弟が独立を希望していた。それを聞いた兄の稲盛和夫(京セラ社長)が餃子の王将の社長に掛け合い、快諾を得たため、義姉の弟とともに鹿児島王将株式会社を設立。同年9月に「餃子の王将」中町店をオープンさせた。現在は、中町店・騎射場店・中央駅店・国分店・伊敷店・笹貫店・吉野店と宮崎県の大塚店計8ヶ所に店舗を構えている。メニューも一部を除き酷似しており、一時期は熊本市などにも進出していたが、現在は撤退している。

餃子の王将 - Wikipedia

独立されたのが1978年で、私が生まれたのと同じ年です。ということは、同級生の稲盛くんが産まれてすぐに独立されたんですね。バイタリティに感服します。大人になってこんなに餃子が好きになるのだったら、もっと仲良くしておいたら良かったなと思うのは邪な大人の考えですね。

ということで、アドベントカレンダー担当の今日は、会社帰りに王将(おしゃれ王将)でテイクアウトしてみました。